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木津川市加茂町銭司は「和銅開珎」を鋳造していた町です。金運・開運の御利益で知られる日蓮宗妙見山本照寺にご参拝ください。

〒619-1101 京都府木津川市加茂町銭司金谷2-5

妙見山 本照寺ご案内

銭司 本照寺 縁起

院長写真

「小遣い銭に困らぬ様に」と参拝に来られる方が多い當山は往古奈良朝の初め皇紀1367年人皇四十三代元明天皇・和銅元年の開基なり其の起源は此の御代に武蔵の国より銅を獻ずに依りて唐の開通元宝に倣せられ当地にて日本最初の通貨(和同開珎)を鋳造した又銭司の地名も是により始まる此の時に清浄なる當山の地に鋳銭守護の善神鎮宅霊符神(妙見大菩薩)を安置し是を祭祀したのが當山の起りにして今を去る約1300年の昔、鋳造廃止に伴い自然に衰退しはじめ僅かに氏神の末社の如く形のみ留めるほどになりましたが、形跡を残せりと一千二百有餘の長年月其間の盛衰も亦幾度かあり伝えられる所江戸時代には、伊賀の藤堂家の守護を得て再び栄え始めましたが、天明3年に村中が大火災に遭い全てを消失した。その後、文政年間に妙見菩薩千日供養講を組織し、大いに栄え、万延・慶応のころ伊賀・藤堂家の菩提寺・上行寺の援助により本宗祈禱所となる安政の頃から明治初年に至り篤信者青木玄造氏の努力に依り各地の信徒大いに増加す時に京都本満寺五十六世、一玄院日教上人、其の頃伊賀の上行寺に移られ以って大いに援助を受け堂宇其の他一般の改造を成し日蓮宗の仏堂として公認された。大正年間に京都大本山本圀寺の末寺久我村の本照寺を譲受け大正12年に其筋の認可を得た。そもそも本照寺は、室町時代、久世郡久我村(今の伏見区)にあり真言宗の月法庵と申したが、開山釈源院日道上人(正三位竹内季治氏)・開基秀前院日現上人の教化により永禄11年日蓮宗に改宗された、天正16年に久世郡久我村に堂宇を建立し灯明山本照寺と改称した。一山一寺の資格を得たい銭司祈禱所から寺号称の末、灯明山本照寺と西北0.4粁の地にあって栄長山福生寺を合併し本照寺の寺号を銭司へ持って来、妙見宮(銭司祈禱所)を妙見山として「妙見山本照寺」となり今日に至る。


銭洗い

境内には「銭洗いの水」と呼ばれる霊水が湧き、この霊水でお金を洗うとお金が貯まるといわれています。また人の心を惑わす、お金の欲を洗い流すことで、商売人の方などが銭洗いしたお金を釣り銭とし
欲にまみれたお金が浄化してもらう為に廻りまわって帰ってくるとされ商売繁盛や金運上昇として、多くの方が、お金の欲を洗い流しに来られます。

山の神様

正面向かって左側に妙法二神様、右側に八大龍王様、中央に森飛騨大明神様をお祀りしております。
昔、當山で参籠修行していたお坊さんが山の神様と感応道交し神通力を与えられました。日本各地を行脚修行しながら人々を助け歩き、奈良の春日山原始林の山中にお礼を込めて滝阪妙見宮を建立しました。當山の森飛騨大明神様の妹様がそちらにお祀りされています。

銭司妙見宮

銭司妙見宮(通称:銭司の妙見さん)
『銭司ゼズ』という地名にもあるように、和銅開珎の鋳銭所がこの土地にありました。その為、元明天皇敕願の開運妙見大菩薩様(当時は神社であった為、鎮宅霊符神の名となる)を祀っております。寺へと変わった現在も、当時の労働の方々へお塔婆をたて、日々お供養させて頂いています。小遣い銭に困らないように見守って下さる、欲張りすぎない方への妙見様です。

馬神様

妙見様にお仕えする馬の姿の神様です。
馬神様と自身の不調な場所との同じ箇所をおさすりしながらお願いすると治して下さると伝えられております。
また、太平洋戦争中に出兵した息子が無事に帰って来ますようにと當山で祈願されていた母親の夢枕にある日、妙見様が現れ「息子が戦地で大変な事になっている、助けたいが、お馬の足が折れていて助けに行けない」との御告げがあり、翌日慌てて當山に参り、馬神様の足をみると妙見様が示された通りに足が折れていました。応急措置をし「直ぐに治しますのでどうか息子をお助け下さい」と願をかけた所、無事息子が戦地から帰ってきました。
母親が息子にその時の事を話すと息子が「丁度その頃に死と背中合わせの状態にいたが、妙見様が助けに来て下さった!とても有難い。」とその時の事を大変感謝しました。

このような妙見様への恩のみならず、馬神様や親への恩を体感するという信心の体験談やお力を示されることが日常にある馬神様です。

納骨・位牌堂ご案内

後継者問題に悩まされる方が多くなった現代。
ご先祖様や自分達の後の事をご心配される前に
一度ご相談下さい。
當山の檀信徒でない方でも個人情報等に責任を持ちお供養させて頂きますのでどうぞご連絡下さい。
當山の規定にそって永代供養等を行っております。

日蓮宗 妙見山 本照寺日蓮宗 妙見山 本照寺

〒619-1101
京都府木津川市加茂町銭司金谷2-5